2008年6月28日土曜日
貞子もうらやむ?瀬田の井戸
とかげ?も井戸端会議に顔を出す。
お伝えした先週土曜日の瀬田歩き。
そのときに民家の井戸を見せてもらうことができた。
場所は、本当に学園通りのすぐ近く。
庭の奥の方にぽつりとある。
深さは6~7m。落ちたらのぼるのは大変だろうなあ…。
「地震なんかの災害のときにも役に立つ。古いものを残していかないとね」
と、地元の方。
定期的に使わないと水が悪くなってしまう井戸の水。
今は庭にまくために使っているということだった。
瀬田にはこういった井戸が他にもあるらしい。
カメラ:D40
使用レンズ:18mm - 55mm
瀬田エクスプレス記事より転載
2008年6月26日木曜日
龍龍周辺の観光スポット紹介
2008年6月22日日曜日
学生の町歩き報告
どーも、学生のヨネです。初投稿です。よろしくお願いします(>_<)
今日は瀬田東地区を歩きましたよーーーーー(もう昨日ですけど)
上の写真は「源内峠遺跡」という遺跡。1300年前には平城京などの造営時に使用する鉄作りの一大拠点だったらしい。今で言う鉄工所みたいなところだったのだろう。
また驚いたのが「山ノ神遺跡」という窯の遺跡だ。窯の遺跡なんかあるのか!?とまず驚き一つ、発掘時の写真を見て掘り起こされた焼き物の数を見て驚きもう一つ。
共に今は国に史跡指定されている。僕が一年間、龍谷大学に通って持った瀬田のイメージは住宅街のイメージだった。確かに近年瀬田の開発は進んでいるみたいだけど、今日見たような歴史を感じさせるものも知らなかっただけで残っている。
僕はまだまだ勉強不足と実感させられました。
2008年6月18日水曜日
筆者が語る「戦中学級日誌」開催される
6月17日、瀬田キャンパスで「筆者が語る『戦中学級日誌』」というイベントが開催された。瀬田小学校で戦争中の1943~1945年に書かれた学級日誌が、当時の担任の先生の家から発見され、当時の児童がその時の情景などを語ってくれた。
60年以上前の日記は、「憎らしきB29、今にみていろこの戦」などの項目があり、当時どのような教育がなされていたかが分かって、非常に参考になるものだった。なんといっても驚いたのが、絵と文章のクオリティの高さ。自分が小学生のときは多分こんな日誌は書けなかったと思う。
当時の担任であった西川先生はじめ、児童の方々、南大萱資料室の方々、朗読を担当されたNHK大津支局のアナウンサー、運営に関わった教職員や学生の方々、お疲れ様でした。
(瀬田エクスプレスの記事を転載)
2008年6月17日火曜日
浜大津歩記3
黒い壁に、赤い鳥居。なんの為にあるのか、ちょっと考えてみてください。
そう、立ち小便を防ぐためにある。確かにこんなところで立ちションしたらバチ当たりそうで、効果覿面だろう。
この町家は一見倉庫のように見える。そう、昔は米蔵だったようだ。嘉永2年(1849年)に建てられたとのことだから、築160年!改めて、大津はすごく古い町だと感じた。
この町歩きが産経新聞のウェブサイトで取り上げられていました。写真がないのが残念。
そう、立ち小便を防ぐためにある。確かにこんなところで立ちションしたらバチ当たりそうで、効果覿面だろう。
この町家は一見倉庫のように見える。そう、昔は米蔵だったようだ。嘉永2年(1849年)に建てられたとのことだから、築160年!改めて、大津はすごく古い町だと感じた。
この町歩きが産経新聞のウェブサイトで取り上げられていました。写真がないのが残念。
2008年6月16日月曜日
2008年6月15日日曜日
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